学校生活

はつとんweekly⑨ 校長より 生き方

司馬遼太郎の講演を集めた本があります。

その中に、『週刊誌と日本語』という全国国語教育学会で話した内容が載っていて、その講演(文)の後半は、正岡子規について書かれています。司馬は、子規について、「事実についての認識力がつねに明快」と書いて、子規が死ぬ前に書いた自分の一生を数行で書いた文の話をしています。

そして、最後に漱石と比べて、「子規の文章の方がはるかに柔軟で、非常に透明度が高く、明晰でもある。国語解釈上の諸問題を出す余地がないくらいに明晰なのです。そういう

文章を我々は喜ばなくてはならない。わかりにくい文章を喜んではいけません。・・・・・・・。平易さと明晰さ、論理の明快さ。そして情感がこもらなくてはなりません。絵画でも音楽でもそうですが、文章もひとつの快感の体系です。不快感をもたらすような文章はよくありません。・・・・・。子規の墓碑銘を思い出してください。子規の墓碑銘は、地理の教科書と同じような文章です。ここには素朴なリアリズムしかない。彼はそれを狙った。同じような文章でありながら、そこにはたしかに快感の体系があるのです。」と話しています

短い生涯の中で、友である漱石と大きな影響を与え合い、俳句というものの在り方を世に問い、美しいデッサンを残し、多くの友人が集い、献身的な妹にささえられ、ボロボロ

になりながら、精一杯生き抜く。子規の生き様は、壮絶さと気高さに満ちています。そのような人物を簡単に天才と呼んではいけないのでしょうが、他に呼びようがないとも思います。

我々は日々たくさんの文を読みます。我々は時に人の目に触れる文を書いたりします。子規の中にあった素朴なリアリズムと快感の体系を、自分の中にも見いだしたいと思い、反省させられます。それは、生き方の反省でもあります。

一年がまた終わろうとしています。この一年を振り返り、生き方としてどうだったかを思い、新しい年が素晴らしいものになるよう祈りたいと思います。

子規の墓碑銘は下記のようなものです。死期を悟った子規が、たったこれだけの事実の中に込めた想いを思うと、胸が締め付けられます。

「正岡常規又ノ名ハ処之助又ノ名ハ升又ノ名ハ子規又ノ名ハ獺祭書屋主人又ノ名ハ竹の里人伊豫松山ニ生レ東京根岸ニ住ム父隼太松山藩御馬廻加番タリ卒ス母大原氏ニ養ハル日本新聞社員タリ明治三十□年□月□日没ス享年三十□月給四十圓」

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