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校長メッセージ9 Be Unique  「ありがとう」が言えていない

 ぼくが小学生のとき、夏は少しの期間避暑地で過ごした。叔父が借りてくれていた別荘に、親族で行かせてもらっていた。夏休みは宿題を早く済ませて、避暑地での生活をさせてもらっていた。

 たくさんの昆虫を捕まえ、本当にたのしかったのを忘れない。そして、祖母は私と同じ年のいとこの二人だけで小さな旅にも出してくれた。3年生くらいから。自分たちで路線図や時刻表を見て、計画を立てる。一日、交通費をもらって、お弁当を持って自分たちの計画に沿って出かける。今のようにスマホで調べてなどは、当然できないので、なにかあれば小学生にとっては本当に不安だった。「どうしよう」「どうする」、お互いの意見も合わないで、進む道が決まらないときもあったように覚えている。でも、本当に困っているとき、そっと助けてくれる大人がいたのもはっきりと覚えている。「どうしたの?」、「どこへいくんだ?」などなど。歩く道を間違えて、もう少しで大変なことになりそうなときもあった。泣きそうになったりしながら、乗り越えて家に戻ることができた。本当に不安だったければ、でも、とても大人になったような気がした。自分でも成長したような気がした。今思えば、祖母は「かわいい子には旅をさせろ」としてくれていた、かわいいかは・・・だけど。


 また、6年生のある日、従兄弟たちと避暑地の銀座通りに出かけて、買い物などをして歩いていた。

 なぜ?かは今も思い出せないけれど、見晴らし台と呼ばれいている山(何度か行ったことはある)に登りたくなった。


 従兄弟たちとは離れて、一人で山に登り始めてしまった。とても不安だったのは覚えている。なにかに挑戦して、旅をしたかったのかなぁ。

 一人で山を登り始める。不安もあるけれど、自分で決めた山頂への道を歩き続ける。途中で声をかけてくれた2人の女性。教員になろうと思っている学生さん。もう、覚えていいないけれど、たくさんの話をしながら見晴台まで一緒に登ってくれた。山頂まで一緒に行ってくれて、一緒に旧軽井沢まで戻った。一緒に写真を撮ってくれた。後日、送ってもらったのを覚えている。でももう、このときの写真は残っていない。

 下山して、従兄弟や叔父や叔母、そして、祖母の待つ現地の家に戻った。


 たくさん怒られた。心配をかけた。

 その後、教員志望の2人の方に手紙を書かなくてはいけないと思っていた。でも、ぼくは書かないままに時間が過ぎた。ごめんなさいよりも、「ありがとう」を伝えなくてはいけなかったのに。

 あのときの気持ちは、今でもよくわからないけど、「ありがとう」と言うことはしなければならなかったこと。

 伝えたいのは、「あの経験、助けていただいて、自分でなにかをやりきったことでちょっと大人になれました」です。

 生徒にも本当はたくさん『旅』をして、大人になってほしい。

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